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    【erutuoc】世界の工房から14


    世界の工房から VOL.014


    Roberta di Camerino
    ~自分のために作った一つのバッグが世界を魅了するまで~

    ミラノから車で約2時間。邸宅の並ぶ閑静な住宅街にロベルタの創始デザイナー、ジュリアーナ女史の自宅はあります。ロベルタといえば、トロンプルイユ(だまし絵)の自由自在なデザインワークを思い出さずにはいられないイタリアを代表するブランド。
    ジュリアーナ女史とのインタビューの中でデザインの原泉について尋ねたときの

    「想像の泉が枯れることはないわ。新しいものを作り出すこと、それは私にとって愛情表現そのものだから。」

    という言葉が非常に印象的でした。
    今回は、“ロベルタ”の自由な想像力とパワーに満ち溢れたデザインがいったいどんな風に生まれたのかインタビューを交えてご紹介いたします。

    ジュリアーナの生まれ故郷、水の都ヴェニス

    アドリア海沿いに浮かぶ、美しい街ヴェニス。
    小さな島々を400もの橋でつなぐ、まさに幻想的な水の都です。共和国時代の繁栄を感じる中世的な町並みと、ヴェネチアングラスに代表される細やかな芸術の息づく街。この街の裕福な家庭でジュリアーナは育ちました。窓を開ければどこからでも海が見えるこの街で、海を眺めるのが大好きだったそう。
    「水面にさす光を見つめていると、水の動きに反射して様々な色が現れては消えていく。その瞬間は驚きと感動に満ち溢れていると思うの。」
    そんな言葉のように、彼女は自家用のボートでヴェネチアと対岸にあるクロアチアの別荘を往復してすごすなど、海辺にいるとインスピレーションが沸くことが多かったといいます。

    「自分のために作ったバッグを欲しいと言われたとき、デザインの可能性に予感を感じたの。」

    きっかけは自分のためにデザインした一つのバッグ。
    ジュリアーナがデザインに目覚めたきっかけは、自分のために作った一つのバッグでした。戦時中の物が乏しく欲しい物が手に入らなかった時代、もともと手先が器用だった彼女は自分で持ちたいバッグを自らデザインし、自分で縫って作りあげたのです。出来上がったバッグをさっそく持ち歩いていると、見ず知らずの婦人に是非売って欲しいと声を掛けられました。この時ジュリアーナは自分のファッションへの才能に予感めいたものを感じたといいます。その後も精力的にバッグのデザインを続け戦争が終わり生まれ育ったヴェニスに戻ったジュリアーナは、1945年ロベルタ社を設立し本格的に仕事を開始します。

    ハンドバッグに“ファッション”という命を吹き込んだロベルタ

    当時、ファッションは保守的でバッグは靴と揃っていることが常識的だというセオリーがあったといいます。しかしジュリアーナが生み出したのは、ビビッドな色彩の自由なバッグ。窮屈なルールは意識せず、口金を使った個性的なスタイルなど自分らしい自由なデザインを発表していきました。地味な色が主流だった中で彼女が生み出す色彩豊かなバッグは、バッグ単体でジュエリーのような輝きを放つ存在でした。
    ファッション誌「BELEZZA」にも取り上げられると、またたく間に女性たちの共感を呼び、当時ヴェネチアで一番の高級バッグショップ「ボジーニ」でもロベルタのバッグは飛ぶように売れていったといいます。 ハンドバッグに“ファッション”という命を吹き込んだこと、それがジュリアーナの大きな功績だったのかもしれません。

    ファッション界のオスカーとも言われる「ニーマンマーカス賞」を受賞

    バッグが実用的な袋としてしか見られていなかった頃、ジュリアーナが直感で生み出すデザインは当然のようにそこに豊かなファッション性がありました。ロベルタのバッグは時代に憧れと活気をもたらしたのです。グレースケリーも愛した「バゴンギ」の大ヒットで世界的なファンを獲得すると、バッグだけでなく服や傘などの雑貨へと広がりを見せ、ついにジュリアーナはニーマンマーカス賞というファッション界のオスカーとも言われる大きな賞を受賞します。1945年にロベルタを設立してから約10年後の出来事でした。各界の著名人、文化人が集う華やかな授賞式にはグレース・ケリーの姿も。前年の受賞者であった彼女は賞のプレゼンターとして登場したのです。ロベルタのいちファンで、既に数個のコレクションを持っていた彼女は、授賞式の当日もバッグはバゴンギだったといいます。

    「もし私がデザイナーになっていなかったら?そうね、舞台監督になっていたかも」

    新作発表のショーは毎回ミュージカルのような演出を。
    自分のために作ったバッグが評判を呼び、最初の予感をはるかに超えて世界中にファンを獲得するまでになったジュリアーナ。ふと「もし、ファッションデザイナーになっていなかったら?」と質問してみると、「舞台監督になっていたかも。」と意外な答えが。そして奥からたくさんのアルバムや資料を出して見せてくれたのです。そこにはまるでミュージカルのような衣装で踊るダンサーたちの写真が。ロベルタのファッションショーは、単なる作品の発表ではなくミュージカルのような大掛かりな演出で有名だったとのこと。

    「サーカス団を呼んだこともあるし。チェックカラーがコンセプトだったときはスコットランドの楽隊を呼んだこともあるのよ。」

    ブランドのアピールの場という意味を超えて、ジュリアーナの中ではショーは一つのエンタテインメントとしてとらえていたのかもしれません。